創立50周年を祝う記念式典及び式典
(1)創立の頃
清水ロータリークラブ認証状国際ロータリー2620地区清水ロータリークラブが創立50周年を迎えました。清水RC創立総会が清水市島崎町にあった当時の「京稲」で開かれたのは昭和27年9月2日。スポンサークラブは静岡及び東京RCで、続いて9月22日にシカゴRI本部より正式承認されました。県内では静岡、浜松、沼津に次いで4番目、日本では83番目の加盟でした。 翌28年3月28日、チャーターナイトが開かれました。式典の行われた清水東高等学校講堂で第60区ガバナー・小林雅一氏から証認状が初代会長の鈴木与平氏に伝達され、この後興津の水口屋に会場を移し、お祝いのガーデン・パーティーが行われました。このチャーターナイトには全国から720名の参会者があり、当時、国内のRCとしては新記録の大盛会であったといわれます。 この年、巷には美空ひばりの「リンゴ追分」が流れていました。昭和25年6月勃発した朝鮮戦争は続いていましたが、清水も木材業界をはじめ朝鮮特需で活気を見せていました。4月、日航機もく星号が伊豆大島三原山に墜落、翌5月皇居前でデモ隊が警官隊と衝突した「血のメーデー事件」が発生し、県内では静岡商業高等学校が春の選抜高校野球で優勝を飾り、清水では2月、清水港が特定重要港湾に指定され、戦災から復興していく熱気が街にあふれていました。新生の清水クラブのチャーターメンバーは22名。初代会長の鈴木与平氏をはじめ戦後の清水の発展を担ったメンバーたちでした。彼らの蒔いた種は育ち、半世紀の歴史を刻んできました。チャーターナイトの終わり近くになると、雨が降り出したと記録されていますが、50年後の創立50周年記念式典の日、平成14年9月22日は昼すぎから小雨が降り続く中での式典となりました。記念式典の会場は清水駅東にできた清水市テルサのホール。式典は、50年前のスポンサークラブ静岡、東京RCの代表はじめ、近隣の各クラブ会長、幹事、そして友好クラブの高田ロータリークラブからの35人の来賓と会員合わせて170人余が参加し、2002年9月22日午後4時から開かれました。 61人の清水クラブ会員が総力挙げて準備した式典は総合司会の清水重雄氏ら3人のコンビで進められ、まず開会を告げる「点鐘」が第51代会長新間溥二氏の手で鳴らされました。 「国歌斉唱」とロータリーソング「奉仕の理想」をソングリーダー三尾孝明氏の指揮のもと全員で合唱しました。 続いて新間溥二会長が宮城島弘正清水市長ら来賓を紹介、そして40周年以降の10年間に亡くなられた杉江善夫さんはじめ12名の物故会員お一人ずつの遺影を中央のスクリーンに映し出し、全員で黙祷を捧げました。式典は進行し、新間溥二51代会長が中央に進み「会長あいさつ」を行いました。50年前のクラブ創設から、10年後の清水北クラブ、平成元年の清水中央クラブのスポンサー役を務めたクラブの歩みを振り返るとともに、最近の国内外の動きが「ちょうど100年前、ロータリー創設のきっかけとなりました商業道徳欠如の風潮にそのまま重なる感じがします」と警鐘を鳴らし、「われわれロータリアンは、今一度ロータリーの基本理念を振り返り、この世の中が生きているだけで楽しいと、幸せな社会になるように、今一度自身の身の回りから広く世界までRI会長ビチャイ・ラタクル氏の提唱する『慈愛の種を蒔きましょう』の活動に決意をあらたにして取り組まなければなりません」とクラブ50周年に際しての決意を表明され、ロータリアンとしての自覚を呼びかけ、参加者たちの共感を呼びました。そして国際ロータリー第2620地区ガバナー中野哲男氏とスポンサークラブ東京ロータリークラブ会長植田新太郎氏からの丁重な祝辞が寄せられましたが、とくに植田会長の祝辞に際しては、記念式典の前夜「発見」された50年前の清水クラブ・チャーターナイト開催時の懐かしい写真がスライドで紹介され、参会者一同、しばし半世紀の歴史を噛み締める機会となりました。 この後、永年会員らの表彰が行われ、さらに米澤典明氏と村上泰秀氏の2人の新入会員へのバッチ授与式が中野ガバナーの手によって行われ、2人を感激させました。 (2)50周年記念式典 そして、国際ロータリーのビチャイ・ラタクル会長からの「一つ一つの奉仕の行為は、世界中に慈愛という、豊かな収穫へと育つ一粒の種のようなものです。清水ロータリークラブがさらに充実し、豊かな奉仕の実りを収穫されますようお祈り申し上げます」というメッセージが紹介され、国際ロータリーより清水ロータリークラブ創立50周年記念表彰の伝達が中野哲男ガバナーから新間会長に手渡されました。 (3)会長挨拶他 式典は進行し、新間溥二51代会長が中央に進み「会長あいさつ」を行いました。50年前のクラブ創設から、10年後の清水北クラブ、平成元年の清水中央クラブのスポンサー役を務めたクラブの歩みを振り返るとともに、最近の国内外の動きが「ちょうど100年前、ロータリー創設のきっかけとなりました商業道徳欠如の風潮にそのまま重なる感じがします」と警鐘を鳴らし、「われわれロータリアンは、今一度ロータリーの基本理念を振り返り、この世の中が生きているだけで楽しいと、幸せな社会になるように、今一度自身の身の回りから広く世界までRI会長ビチャイ・ラタクル氏の提唱する『慈愛の種を蒔きましょう』の活動に決意をあらたにして取り組まなければなりません」とクラブ50周年に際しての決意を表明され、ロータリアンとしての自覚を呼びかけ、参加者たちの共感を呼びました。 そして、国際ロータリーのビチャイ・ラタクル会長からの「一つ一つの奉仕の行為は、世界中に慈愛という、豊かな収穫へと育つ一粒の種のようなものです。清水ロータリークラブがさらに充実し、豊かな奉仕の実りを収穫されますようお祈り申し上げます」というメッセージが紹介され、国際ロータリーより清水ロータリークラブ創立50周年記念表彰の伝達が中野哲男ガバナーから新間会長に手渡されました。 (4)清水ロータリー創立50周年記念事業 式典は、さすが50年のキャリアを持つクラブらしい味を出しながら、滞りなく進み、直前会長長村義郎氏が「きょうより次の50年後の百周年に向って、さらに発展するよう精進をしてまいりたい」と閉会のあいさつを行い、新間溥二会長が閉会の点鐘を鳴らしました。こうして会員たち手づくりの素朴な中にも厳粛に記念式典は終了しました。 (5)祝宴 祝宴は7階会場の清水芸妓連「祝賀舞踊」と1階会場での祝宴の2部構成で行われました。続いて創立50周年記念事業の発表が行われ、新間溥二会長から『清水市への贈呈』として新築中のJR清水駅の駅舎前への太陽電池時計の目録が宮城島清水市長に、また、清水市立病院に対し車椅子15台が坂口斌副院長に贈呈され、清水市側からそれぞれ感謝状が新間会長に手渡されました。 来賓として祝辞を述べた清水市長宮城島弘正氏は、「立派なものをいただき、多くの人に愛されるものに必ずなると思って感謝申し上げます」とこの贈呈にふれ、これまでの地域社会への貢献を感謝しつつ、平成15年4月の清水、静岡両市の合併によって78年の歴史を閉じる清水市の一つの想いとして「百年たっても清水ロータリーでいてほしい」と「清水」の名前を大切にしてほしいとクラブの会員たちに要望しました。一方、祝宴会場は、式典会場と同じ会場での開催で、椅子などの格納、そしてテーブル等のセッティングと大忙し。清水クラブの若手はもちろんベテランまで椅子を運ぶなど舞台裏で見事な一致団結ぶりを見せ、お客様たちを迎える準備をして無事開催となりました。 祝宴の司会は、瀧康晃氏。開宴の挨拶を実行副委員長の谷昌行氏が行い、遠路、新潟県から駆けつけた友好クラブ高田ロータリークラブ会長遠藤巌氏が祝辞を述べ、続いてチャーターメンバーの後藤磯吉氏の「乾杯」で、祝宴に入りました。アトラクションとしてコロンビアレコード所属で清水出身の歌手美山りかさんの歌で会場は盛り上がり、最後に次期会長大塚勝司氏が閉宴あいさつを行い、そして三尾孝明氏の指揮でロータリーソング『手に手つないで』を大合唱し散会となりました。清水芸妓連の「祝賀舞踊」は、50年前のチャーターナイトでも水口屋の庭に設けられた特設舞台で披露されたゆかりのもので、お祝いの会にふさわしい華やいだ演目が並び、遠来のお客様たちの目を楽しませました。 |